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第5回司法の抱える課題と目指すべき役割とは。

憲法企画の第5回として「司法」をテーマに、東京大学大学院宍戸常寿教授、元最高裁判事でTMI総合法律事務所の泉徳治弁護士、早稲田大学政治経済学術院笹田栄司教授、専修大学大学院法務研究科棟居快行教授にご登壇いただき、違憲審査権を中心に、各国の司法と比較しながら日本の最高裁が抱える課題やその解決のあり方を考えました。

アメリカのトランプ大統領が出した大統領令(イスラム圏対象の入国禁止)に対し、州政府が憲法違反だと連邦地裁に差し止めを求め、執行停止命令が相次いだことが昨年ニュースになりました。日本では2015年のいわゆる安保関連法案をめぐって憲法学者が集団的自衛権の行使に関し「違憲」との見解を表明したことや、同じ年の「選択的夫婦別姓訴訟」判決において憲法判断が注目を集めました。

私たちが普段イメージする裁判所といえば、殺人などの事件の被告人に対して判決を下す場所かもしれません。あるいは衆議院選挙の際に同時に行われる最高裁判事の国民審査を思い浮かべる人もいるかもしれません。

日本にはヨーロッパ諸国のような「憲法裁判所」はありませんが、日本の司法も「違憲立法審査権」を持ち、刑事事件や民事事件の裁判を通じて、法律などが憲法に違反している場合には「違憲」との判断を下すことができます。

第5回「憲法について議論しよう!」の登壇者(宍戸教授、泉先生、笹田教授、棟居教授、別所執行役員)の様子
「司法」をテーマに議論された「憲法について議論しよう!」第5回

ヤフー政策企画部が主催し、今回で5回目となる憲法討論イベント「憲法について議論しよう!」は、長らく違憲立法審査権の行使について「消極的」と指摘されてきた日本の司法がテーマです。東京大学大学院法学政治学研究科の宍戸常寿教授がモデレーターとなり、元最高裁判事でTMI総合法律事務所の泉徳治弁護士、早稲田大学政治経済学術院の笹田栄司教授、専修大学大学院法務研究科の棟居快行教授ら専門家とヤフー株式会社の別所直哉執行役員が、違憲審査権を中心に、各国の司法と比較しながら日本の最高裁が抱える課題やその解決のあり方を考えました。
なお,このイベントの模様をまとめたレポートが「THE PAGE」上でもお読みいただけます。
(参考 THE PAGE https://thepage.jp/detail/20180323-00000003-wordleaf

■日本の司法は消極的なのか?
日本の最高裁が約70年の歴史の中で出した法令違憲判決は「10」。この数字は諸外国と比べてみると、決して多いとは言えないでしょう。

司法が統治の分野で大きな役割を果たしてきた代表格はアメリカです。アメリカには日本と同様に憲法裁判所はなく、連邦最高裁が違憲審査を行います。その連邦最高裁は、2014年までの時点で177の連邦法に違憲判決を出しました。さらにドイツの連邦憲法裁判所は2013年までの時点で476の法律・命令を違憲としました。


宍戸教授が説明する様子
日本の最高裁をはじめとする司法の現状を説明する宍戸教授

こうした世界各国の「強い司法」に対して、宍戸教授は「日本はこれまで『弱い司法』『小さな司法』だったのでは、と言われてきた」といいます。しかし、これまでの10件の法令違憲判決のうち、5件は2002年以降に出されたものだと説明し、「2000年代に入ってから非常に多くの違憲判決が出されている。あるいは合憲判決だったにしても、最高裁判事の間で積極的な憲法議論が戦わされている」と司法が変わりつつあると言及しました。

違憲審査については、「政治のプロセスと司法の関係の中で、司法がどこまでやらなければならないのか。憲法に基づく統治の根本問題だ」と、三権分立における政治との関係性の難しさも指摘します。

■そもそも最高裁とは? どんな状況?
アメリカ連邦最高裁、ドイツ連邦憲法裁、日本の最高裁の外観写真
上からアメリカ連邦最高裁、ドイツ連邦憲法裁、日本の最高裁(アフロ)。棟居教授は「アメリカは神殿のよう」「ドイツはガラス張りでオープン」と語り、建物からその国の考え方がにじみ出ると指摘。日本の最高裁はどんな風に感じられるだろうか


「最高裁は『憲法の番人』としての特殊な役割を担わされている」と解説するのは棟居教授です。

日本国憲法98条1項が「国の最高法規」と規定した憲法について、81条では最高裁判所のことを「一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所」と位置づけているからです。裁判所のトップに最高裁があり、「憲法に適合していない法律にダメ出しをして事件に適用しない違憲立法審査権という権限を与えられていますが、これは判例という形での法改正に近い権限だ」といいます。

笹田教授は、最高裁には「憲法の番人」としての役割が期待されている一方で、違憲審査よりも上告審的な機能に配慮した陣容になっていると指摘します。


笹田教授が説明する様子
アメリカとドイツを比較しながら日本の最高裁の人と組織について説明する笹田教授


最高裁の定員は最高裁長官を含む15人で、裁判所法で定められています。構成内訳は、慣例的に裁判官が6人、弁護士が4人、学識者が5人(検察官2人、行政官2人、学者1人)となっています。

笹田教授は「最高裁判事が担当する膨大な事件処理の負担が大きな問題になってくる」といいます。笹田氏によると、年間での処理事件数は9000件ほどで、1小法廷あたり約3200件を担当。ほとんどが民事や刑事事件で、「こうした中では憲法の裁判所だという認識を持つのは大変難しい」と懸念します。

では諸外国と比較してみるとどうでしょうか。

事務局資料、タイトルは「最高裁、憲法裁の日米独比較」、それぞれの違憲審査機能(日本、米国、ドイツともに有り)、年間事件処理件数(日本9000件、米国100件、ドイツ6000件)を記載した図
[表]日本とアメリカ、ドイツの最高裁・憲法裁比較


アメリカは連邦制国家なので州の独立性が高く、各州にも最高裁があるという事情もあり、加えて裁量上告制があるため、連邦最高裁判所による理由を付した判決は年間100件前後である。ドイツの場合は、民事事件、行政事件、労働事件、そして刑事事件などの上告審としての機能は5つの連邦最高裁判所(連邦通常裁判所、連邦行政裁判所など)が担当し、連邦憲法裁判所は抽象的規範統制や具体的規範統制、機関訴訟、憲法異議の訴えを担当するという役割分担がある。それでも、連邦憲法裁判所の年間の処理件数は6000件前後に及んでいる。事件処理の数から見ても「日本は2つの国と比べ、上告審機能にシフトしている」(笹田教授)のです。

この点について、最高裁調査官や最高裁事務総長、そして2002年からは6年余り最高裁判事を務めた泉氏も同様の見方を示します。最高裁の裁判官15人のうちの5人は、法曹資格のいらない行政官や外交官が入りますが、「過去70年の歴史の中で、憲法学者、行政法学者はごくわずかしか任命されていない。要するに一般事件を扱うための組織になっている」からです。

■付随審査制では違憲状態が残る?
日本の司法には、違憲審査を考える上でもう一つ特徴があります。「付随審査制」という制度です。付随審査制では、具体的な事件がないと憲法判断や司法審査権を行使することができません。この制度のもとでは違憲審査は通常の裁判所で行われ、アメリカも付随審査制を採用しています。

それに対し「抽象的審査制」があります。具体的な事件がなくても法律などの憲法判断をすることができ、ドイツが採用しています。別枠で設置された専門の裁判所で違憲審査を行います。

別所氏は、この付随審査制について、「(権利などを侵害されて)訴訟を起こせる資格のある人が訴訟を起こさない限り、『違憲』なものが存在し続ける制度。訴訟がない限り、修正がなされない仕組みになっている。本当にそれでいいのか」と問題提起しました。また、違憲立法審査権の発動に関し、2015年の「選択的夫婦別姓訴訟」を例に挙げて、最高裁がもう少し国民的な議論が進むべきと考えているようだと指摘した上で、「全体の中で少数の人であるからこそ差別的な取り扱いを受けているものに、他の大多数の人たちは気がついて、全体の合意がなければ修正できないという風にするとすれば、憲法が定めている平等の実現は本当にできるのだろうかということになりかねない」「最高裁という機構がそうさせているのか。判事一人ひとりの特性がそうさせているのか。判事一人ひとりが要因なら国民審査はどうあるべきか」と指摘しました。

■事件の解決を通じて政治に影響与える
最高裁は本当に抽象的審査ができないのでしょうか。

棟居教授は1952(昭和27)年の「警察予備隊違憲訴訟」判決を例に、日本の司法が憲法上、付随審査制の立場を採ってきた経緯を紹介しました。

この訴訟は、当時の社会党党首が自衛隊の前身である警察予備隊は憲法9条に反するのではないかと「抽象的審査」を最高裁に求めたものですが、最高裁は「憲法上及び法令上何等の根拠も存しない」として訴えを却下したのです。また、日本では長らく、高度に政治性を持つテーマは司法審査の対象とならないという「統治行為論」という考え方が一般的です。

棟居教授が説明する様子
違憲審査をめぐり付随審査制と抽象的審査制の違いなどについて説明する棟居教授

棟居教授は「日本はここまで厳格な付随審査制という考えに立ってきた。消極主義といわれるが、政治にはクチを出さないできた」と述べ、あくまで事件の解決を通して、違憲判決を出し、それが説得力を持つことで政治に影響を与えるスタンスであると解説しました。例えば、結婚していない日本人父とフィリピン人母の間に生まれた子どもらに日本国籍を認めることを求めた2008(平成20)年の「婚外子国籍確認訴訟」での国籍法違憲判決は、その好例だとしました。

「司法の本来のフィールドとして、憲法の理念を発展させていく憲法判例の積み重ねの形がいい」。一方で動かない政治に対して司法が突破口を開くべきだと注文する意見もあるとしながら、地裁や高裁などの下級審の段階で、メディアや学者が注目して発信を増やすことで、「最高裁に負担をかける前に政治が拾い出すのが理想」だとの見解を示しました。

また、棟居教授は、権力分立の枠組みの中での司法審査のあり方について、『垂直型モデル』(憲法―法律―(政令等)―法適用行為という法の段階構造の頂点にある憲法と法律の間のタテ関係の整合性審査としての司法審査)と『水平型モデル』(立法・行政・司法というヨコ関係の機能的役割分担としての司法審査)という2つの視点を提示し、近時の最高裁は、水平型モデルへの接近傾向があるのではないかとの見解も示しました。

このような司法審査制度に関し、別所氏からは、「付随審査制は、(権利などを侵害されて)訴訟を起こせる資格のある人が訴訟を起こさない限り、『違憲』なものが存在し続ける制度。訴訟がない限り、修正がなされない仕組みになっている。本当にそれでいいのか」との問題提起がされました。

■違憲判決が日本で少ない理由
憲法は「国の最高法規」であり、すべての法律は憲法の範囲を逸脱できないとされています。しかし泉氏は、日本の裁判所にとって「憲法はしばしば軽視される」と指摘します。

日本国憲法は条文が少なく抽象的な内容であることから、「憲法は立法の指針目標を定めたもので、憲法が国民に権利義務を直接付与しているわけではないという思考が強く、法律によってつくられる制度を重視してしまう傾向にある」というのです。具体的には、2015(平成27)年の「選択的夫婦別姓訴訟」で、最高裁は、男性でも女性でも生まれたときからの姓を持ち続ける権利を憲法13条の「すべて国民は、個人として尊重される」との規定から導くことはできず、法律である民法が氏をどのように規定しているかにかかっているとして、「夫婦同姓規定には合理性があり合憲」との判断を示した例を挙げました。

泉先生が説明する様子
最高裁判事、調査官、事務総局長などを歴任した経験から違憲審査の現状について意見を語る泉氏

さらに泉氏は、日本で違憲判決が少ない背景には、諸外国と比べ「組織や機構の差」があると2つの理由を示しました。

一つは、日本における「調査官」制度です。
ここでいう「調査官」というのは、最高裁判所調査官を指します。この職には現役の裁判官があてられ、現在約40名の調査官が最高裁にある調査官室に所属しています。

調査官の職務は、裁判官の命を受けて、事件の審理及び裁判に関して必要な調査などを行うというもので、1事件当たり1人の調査官が担当者となり、報告書を作成します。その報告書が事件の係属する小法廷(小法廷は5名の裁判官で構成)の最高裁判事の元に配られ、最高裁判事がこれを承認するかどうか判断します。
調査官という職自体は、日本だけにあるわけではなく、違憲審査制あるいは憲法裁判所を採用しているほとんどの国に存在しますが、調査官制度のあり方は異なるといいます。

アメリカと比較すると、連邦最高裁には9人の判事がいますが、それぞれの判事に調査官が4人ほどつきます。判決は、9つのチームが競い合う中で生まれるため「遠心力が働く」(泉氏)。それに対して日本では、上記のとおり、1つの事件に1人の調査官がつき、その調査官が書いた事件の報告書が最高裁の中を回り、それを承認するかどうかが作業の流れになるため、「求心力が働く」(泉氏)。そのために違憲判決が出にくいというのです。

もう一つ、日本の最高裁に欠けているのは「憲法の専門家」だと強調します。「違憲立法審査権を行使すると言いながら、最高裁のあの建物の中に憲法を研究している人が1人もいない」。最高裁には約40人の調査官がいますが、たまたま担当となった事件に憲法問題が入っていたら研究するという状態で、「少なくとも3人程度の憲法研究官は必要ではないか」と提案しました。

韓国では1988年に憲法裁判所が設けられ、30年間で580件の違憲判決が出ました。違憲判決を連発すればいいというわけではありませんが、泉氏は「憲法裁判所の裁判官は365日、憲法を見ている。そこが違う」といいます。また、韓国の憲法裁判所には80人程度の憲法研究官等が配置されているほかに、憲法裁判研究院(定員33人)が設置されていることに触れ、泉氏は「機構の差がある」と指摘しました。

■憲法裁判所を設置するべきか
憲法裁判所の創設について、笹田教授は、元最高裁判事である伊藤正己氏の「憲法の裁判所であるという意識は小法廷ではなかなか生まれない」との言を引き、日本でも憲法裁判所をつくるしかないと語った氏の見解を紹介しました。

日本の政治家の中にもドイツ型の憲法裁判所をつくりたいという意識は底流にあるといいます。一方でドイツ連邦憲法裁判所の現状を踏まえ、慎重な見方も示しました。

笹田教授は、そもそもドイツ型の憲法裁判所を「抽象的違憲審査制」とする説明は「一面的過ぎる」と指摘します。ドイツ連邦憲法裁判所では、6000件前後の訴訟件数のうち、公権力による基本権侵害を要件とする「憲法異議の訴え」がおよそ98%を占めます。憲法裁判所の本丸ともいうべき、具体的な事件とは関係なく違憲審査ができる「抽象的規範統制」は年間で数件ほどしかないのが現状です。笹田教授は「『憲法異議の訴え』が憲法裁判所に多大な負担を強いているが、これがなければ担当事件数はわずかになる。こんな『憲法裁判所』を創設する意味はあるのだろうか」と疑問を投げかけました。

憲法裁判所を新設するまではいかなくとも、違憲審査の間口を広げる方法もあるといいます。カナダで実施されている「参照意見制度」(レファレンス)です。カナダでは日本と同じ付随審査制を中心にしつつ、具体的な事件から離れて、法律などの合憲性の判断を内閣が連邦最高裁に求めることができる制度が設けられています。これをサブシステムとして導入することも考えられるとしています。ただそれには、現在の最高裁が対応するには負担が大きすぎるので、最高裁の機構改革が必要になります。

また「違憲審査制は人が支える」として、裁判所の人材確保の一案として、若手の弁護士や研究者がパートタイムで憲法問題についての調査官となる制度を提案しました。

■国民審査のあり方はこれでいいのか
笹田教授は「国民審査」のあり方にも言及しました。国民審査とは、最高裁判事の適格性を国民が判断するための投票で、衆議院選の投票場で一緒に手渡される投票用紙で行うと言った方が分かりやすいかもしれません。

過去に下した判決などを基に、ふさわしくないと考えた裁判官に「×」をつけ、何も書かない場合は「信任」とみなされます。「×」の票が過半数を超えた場合、その裁判官は罷免されることになりますが、これまで国民審査で罷免された例はありません。
笹田教授は、現状、国民審査が実効性を失っている原因について、①各最高裁判事が実質的に国民審査を受ける機会が一度しかないこと、②積極的に罷免を可としない限り、信任したとみなす投票方法が採用されること、③罷免の判断を行う前提としての資料が著しく不足していることを挙げ、改善策を考える必要があると訴えました。

また、「違憲審査権の行使が活発化すると、……政府が裁判官の人選に対する実質的関与を強めてくる」可能性を指摘したうえで、「それも、民主政の下では、ある程度やむを得ないことであるが、時の政府の恣意を抑制しつつ、裁判官候補者を広く求めるため、任命諮問委員会の設置が必要」との泉徳治元最高裁判事の見解を紹介し、有識者や法曹OBらで構成する任命諮問委員会の設置を提案しました。
「任命諮問委員会が推薦する候補者以外の人物を内閣が任命した場合、内閣は任命責任の観点からその候補者を選んだ理由についてきちんとした説明が求められることになる。このような流れは、メディア、ひいては国民の高い関心にさらされることになり、結果として、国民審査の実効化や最高裁判事の民主的正統性の調達につながるのではないか」と分析しました。

■司法と予算
別所氏は、これまで挙げられたものを含む色々な問題が「司法行政の政治化」という話に収斂するのではないかといいます。
「裁判所のサイズを規定しているのは裁判所に付与された予算であり、司法をそれなりのサイズにしていくためには、司法全体で予算を確保することが不可欠です。」裁判所は三権の一翼を担う機関であるものの、「予算に関しては、最高裁が一つの行政機関としてほかの行政機関との間で予算の取り合いを行わなければならず、そこできちんとした機能が果たせない結果、司法全体のサイズが大きくできなくて、機能的にも多くの課題を抱えているのではないか。」、「司法の予算の確保というのを制度的に担保していかないとこの状態は変わらない、憲法に司法の財政の独立と確保というのが書かれていないのが課題ではないか」との見解を示しました。

裁判所の予算について、泉氏は、「(予算の場面において裁判所は)一般の行政庁と同じに見られる。一般の行政庁が行政簡素化ということで定員削減をやっている中で、裁判官の数を増やす、それから予算を取るということはなかなか難しい」といいます。
例えば、後期高齢化の関係で、成年後見の利用者数は年々増加し、現在は20万人を超えていますが、「地方に行くと、家庭裁判所で成年後見の事務の監督を専属にやっている裁判官は1人もおらず、他の事件を処理しながら兼務で監督業務をしている」といい、「こういった点をもっと訴えていく必要がある」と述べました。

■少数派の権利は司法しか守れない
議論に耳を傾ける傍聴者の様子
「少数派の権利は司法こそが守れる」と最高裁への期待の声も上がった

司法や憲法というと、なかなか日常生活からは縁遠い印象です。しかし、宍戸教授は「司法こそが社会のガバナンスの根幹となるインフラ。司法があることで権利実現、市民生活の安全、最後は刑事・民事裁判で守られることで安心した社会生活を営める」と述べ、司法は統治機構を考える上で公共性を支える「車の両輪」の一つだと強調します。

憲法が保障する「法の下の平等」は、司法しか守れないと期待する声も上がりました。

棟居教授は、ハンセン病の問題を例に挙げながら、「“声なき声”は憲法学者も見えていなかった。それを拾うのは裁判所にしか出来ない。国会での大所高所の議論からこぼれる“声なき声”を拾う司法の作業は国会と重複しないし、内閣法制局にも小さな声を拾う目線はない」と語りました。

笹田教授からは、「多数派の考え方は立法府の中である程度完結していく中で、少数派の人権を憲法問題として構築していくときには、やはり司法の役割がある。例えば会社を辞める際、競業避止義務がかかり、同業他社には転職できないことが争われる場合、民対民の間の訴訟であっても、裁判所は判決のなかで憲法上の職業選択の自由との関係について指針を出す」ことも必要だし、実際、そういう裁判例は多いのでは、と語りました。

泉氏も「日本の司法は、立法・行政行為には関わらない方がいいのだという考えが強い。関わると司法が攻撃されるのではないかと、司法の独立を守るためにはよほどのことがない限り関わらない方がいいのだと。ただそれでは国民の個人的権利自由は守られない。司法の側に個人の権利自由を守るのは自分達の役割であるという認識が足りない」と、政治へのある種の“遠慮”に苦言を呈しました。

国会議員は選挙の洗礼を受けなければならないため、多数派の声で動く傾向があるとしながら、「少数派であっても憲法で守られた権利・人権を多数決で無視していいわけはない。それを守るのが司法の役割。一番大事なことは司法の役割に対して、最高裁も高裁も地裁も意識を高めること」と憲法の番人としての自覚を持つことを司法に促しました。

別所執行役員が説明する様子
シリーズ5回を数えた「憲法を議論しよう!」での議論が今後の憲法論議の一助になればと語る別所氏

会の最後に、別所氏より、これまでのシリーズ5回の議論や挙げていただいた論点について、我々みんなが統治機構のあり方を考えていくことが大事で、今後、各方面での憲法議論に一つでも追加されていくことがあれば嬉しいという発言がありました。


(H.H、Y.N)

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